WDRS ARCHIVES 〜from Twitter〜
過去ツイッターの@WDRS_officialでつぶやかれたアーカイブズネタをまとめたものです。

アーカイブズ_A1_バンド名の由来は、1979年公開のアメリカ映画「The Wanderers」だった。不良グループの青春映画。チーム揃いのジャンパーに憧れた。
アーカイブズ_A2_the wanderers本格的な結成の動機はオムニバスアルバム「oi of Japan」に参加する話をヨースコー(現COBRA)にもらったから。彼の誘いが決定打となり、そこからOiをやるようになった。
アーカイブズ_A3_初めてのライブはCOBRAの前座。16歳。会場は大阪の西成にあった「EGG PLANT」。お客さんはみんな座ったまま聴いていた。でも多くの人に知ってもらえるラッキーなデビューだった。(EGG PLANTは惜しまれつつ1989年に閉店)
アーカイブズ_A4_最初にthe wanderersとして完成させた曲は「Picky Boys」。当時は「ゲット・ザ・グローリー 」に代表される掛け声部分のリズムが王道だった。でも同じことはしない!と考えた末に出てきたのが、この曲の変則的な掛け声だった。
アーカイブズ_A5_「oi of Japan」の頃はみんなオールバックでロックンロール色が強かった。収録曲の「Wayward Riders」はその典型で、oiの王道である掛け声が無い。この時からthe_wanderersのルーツの異色性が顔を覗かせていた。
アーカイブズ_A6「oi of Japan」 のレコーディングはスタジオゴリラ。ヨースコーがアルバム全体のプロデューサーとして頻繁に顔を出してくれた。収録曲である「Wayward Riders 」のハモリは、ヨースコーの提案で今の形になった。
アーカイブズ_A7_Oiと言えば3コード!で始まったはずの「Picky Boys」(「oi of Japan」収録)。確かに歌の部分は3コードだけど、ギターソロでマイナーコードを2箇所使っている。ここにもWDRSならではの拘りとアレンジが光っている。
アーカイブズ_A8_ギターソロを作り出すとそこから独自のメロディーが生まれ、コードは後からついてくるのがWDRSの曲作りのやり方だった。WDRSでレコーディングした曲のうち、半数以上はギターソロ部分のみの独自進行だ。
アーカイブズ_A9_「oi of Japan」もう1曲の収録曲「Wayward Riders」も3コード曲だったけどギターソロあとのハモリの部分でのみ、2つのマイナーコードが使われている。最初の時点から既に後のメロディアスWDRSの片鱗が顔をのぞかせていた.
アーカイブズ_A10_当時並みいるパンクバンドの中で全員髪型がオールバックだったWDRSは、ハードコアパンクとのギグの時、MOBSのケンジ君(モヒカン)に「髪型、いっかついなぁー」と言われて、逆に恐縮した。
アーカイブズ_A11_「ウェスタンキッズカーニバル」というイベント(確か…)で配るオムニバスのカセットテープを出演バンドみんなで作った。単発のライブだったにも関わらず、taishoの「勝負かけよ!」の一声で自費を出し合ってスタジオゴリラで録音することになった。
アーカイブズ_A12_その時に録音したのが「Don't Look Tomorrow」と「Here We Go Again」これは後にそのままのテイクで2枚組シングルの1枚目となった。この2曲からWDRS=メロディアスというイメージが定着した。
アーカイブズ_A13_スタジオゴリラは8トラック録音。ドラム(ステレオ)、ベース、コーラス、ボーカル、ギター3本でピッタリ8トラック。それ以外が入れられないことが当時は物足りなかったけど、今思えばジャストのパンクサイズなんだと思える。
アーカイブズA14_ライブ編_名古屋でのSAとのギグの時、「oi of Japan」に収録のバンド仲間、バッド・バルチャーズのワンボックス車に乗せてもらって一緒に名古屋まで行った。(もしかして岡山やったか…?どっちか忘れた…)
アーカイブズ_A15_ライブ編_(前回続き)通り道のサービスエリアでみんなでカップ麺を食べた時、バッド・バルチャーズのギターのtoshiさんは、「麺は硬めがええんや!」と言って、お湯を入れてすぐバリバリと食べ出した(笑)。この人には勝てないと思った。
アーカイブズ_A16_ライブ編_当時のパンクライブは、男達が暴れまくるので、よくケンカも起きた。 でもそんな中WDRSの番になると、女の子たちがカメラを持って前列を埋めるので、パンク仲間から「すけこましバンド」と冷やかされていた(爆)
アーカイブズ_A17_ライブ編_ライブの打ち上げはいつもシェイキーズのピザ食べ放題。安いから(笑)。いかついハードコアパンクスたちも混じって10人以上で店を占拠するから、シェイキーズは嫌やったやろなー(笑)
アーカイブズ_A18_京都大学西部講堂でS.O.B、コンチネンタルキッズやパンクス達とライブをやったthe_wanderersだが、実は前日にEGG PLANTでOUTOのブッチャーに「明日ライブに出演しない?」と言われ、勢いでOKし出演した(笑)
アーカイブズ_A19_初期the_wanderers解散前の頃、お金がなかったtaishoは、ライブで紺色のブルゾンの下に、白いTシャツ。ではなく、白い肌着を着ていた。当時一人暮らししてた浜甲子園のローソンで買った肌着(爆)...
アーカイブズ_A20_「Here we go again」のフェードアウトの最後には、かすかにライブバージョンでのエンディングが入っている。
アーカイブズ_A21_最初kochiはベースをchumaに借りていた。同じようにギターの無いchumaは当初宮本家のセミアコを使わせてもらっていた。昔のWDRSを知る人は、chumaと言えばセミアコ、というイメージがあるらしい。
アーカイブズ_A22_2枚組シングル「CHANGING ALL..」の1枚目(Don't Look〜とHere We〜)の録音で、chumaのギターは宮本家のレスポールを使わせてもらっていた。「Oi of Japan」と音色が違うのはこのため。
アーカイブズ_A23_2枚組シングル「CHANGING ALL..」の2枚目の録音は、スタジオeveでやった。16 トラック有ったので、シンセや多声のコーラス、効果音等が入れられるようになった。
A24_chumaが自分のギターとして初めて買ったのは、白のストラトキャスター。2枚組シングル「CHANGING ALL..」の2枚目はこのギターを使っている。さらに音色が変わったが、シングルピックアップなので、音が薄くなっている。
アーカイブズ_A25_「NOT FADE AWAY」のシンセサイザーを弾いているのは、kochi。当時楽器屋に勤めだした彼が、任せとけ!とかって出た。当時、damnedにかなり傾倒していたので、音色はパイプオルガンになっている。
アーカイブズ_A26_「CHANGING ALL..」の録音をしていたのは、1985年の6月。雨の多いうっとうしい季節だった。でもそんな雨の感じをレコードにも残しておきたくて、「NOT FADE AWAY」には雨の音を入れた。
アーカイブズ_A27_(A26続き)「NOT FADE AWAY」雨のBGMは、近くのレコード屋で買ったもの。 色んな種類の雨の中から、北欧の静かな嵐のような雨を選んだ。
アーカイブズ_A27_(ここからはローリング竹村による学校生活編!)WDRS時代にベーシストだったchumaは「俺はシドのように二十歳になったら死ぬ!」と言っていた…結果、現在その倍以上生きてる(笑)
アーカイブズ_A29_chumaはいつも目の下にクマを作って登校しており、それを学校の生活指導の先生が薬物使用者と勘違いしてある日「友達なら更正させなさい!」って、ただの寝不足やし、それはアンタの仕事やろっ!と思ったローリング竹村であった。
アーカイブズ_A30_COBRAのオリジナルメンバーはヨースコーはじめ全員、我々の母校の先輩だった。当時から格好良くて男が憧れる男たちだった!
アーカイブズ_A31_高校の卒業式。同級生や後輩の女子から「この手紙を渡してください」とか「このカメラで写真を撮ってきてください」とか…。「ワイはchumaとkochiのマネージャーかっ!」と独り惨めなローリング竹村であった(爆)
アーカイブズ_A32_帰りにtaihsoの家に寄るのが日課だった学生時代。ある日スーパーで買ったコーヒー牛乳をchumaとkochiが「プリン味でめっちゃ美味い!」とグビグビ飲んでいたが翌日から1週間、二人とも学校を休んだ。腐ってて味が変わってただけらしい…。
アーカイブズ_A33_当時、学生で金の無いローリング竹村はスネアを購入したが、ソフトケースまでは買えずにライブの度に段ボールに入れたまま持ち歩き電車移動していた(爆)重たかった〜!(本人談)
アーカイブズ_A34_高校の学祭でchuma(ボーカル&ギター)、kochi(ドラム)、ローリング竹村(ベース)で「ローリング竹村とその仲間たち」というSTRAY CATSのコピーバンドを組んでた。(続く)
アーカイブズ_A34_(続き)当時ローリング竹村はブライアン・セッツァーのようなリーゼントをしていたが、現在は不可能です。不可毛っ?  …という竹村さんの自虐ネタ(爆)で竹村編が終わり、次は何が出るかな?あ、WDRSはけしてお笑いバンドではありませんヨ!(念のため)
アーカイブズ_A35_(今日からkochi編!)WDRSのメンバーは全員格闘家である。ローリング竹村とkochiは、柔道の有段者。taishoとchumaは、ブルースリーとジャッキーチェンの弟子(自称)である(爆) 。アチョー!
アーカイブズ_A36_WDRS最初のオリジナル曲は、「ボイスオブシアター」。oi punkを目指した曲だったが残念ながらお蔵入り(;´д`)日の目を見ることはなかった。
アーカイブズ_A37_taishoのTV初出演は、笑福亭鶴瓶師匠の番組『突然ガバチョ』である。ローリング竹村と一緒に番組の観覧者席に座っている姿を確認できたのは、果たして何人いたのだろうか?
アーカイブズ_A38はA36<WDRS初のオリジナル曲>についてメンバー3人の「覚えてない!」という衝撃リアクション(笑)に対するkochiの逆襲?になっています!「塚口のスナックハイウェイ(taishoの実家)で4人がひとつになったあの瞬間。そう、あの夜...」(続く)
アーカイブズ_A38(続き)『ボイスオブシアター』が生まれたんだ。如何にも中学生っぽい英語タイトルではあるがステージに届くオーディエンスの声援を夢見て歌った詩だった。そして16歳の少年達は、その夢に向かってthe_wanderersを結成した.... 。えっ?なんで?皆覚えてないの?(kochi)」
アーカイブズ_A39_(ここからchuma編)小泉今日子主演の映画「生徒諸君!」出演者オーディションに、taishoとchumaはこっそり応募していた。taisho はオーディションにも最終選考まで残っていた。運命が変わっていたら今頃役者になっていたかも?
アーカイブズ_A40_ピック事件:taishoの家で皆で曲作りをしていた時、いきなりtaishoが「ピックがない!」と大騒ぎしだした。ピックは何とtaishoのデコに張り付いていた。(爆) 脂乗りサイコー! (注・WDRSはコミックバンドではありません )
アーカイブズ_A40_ピック事件A:それからというものtaishoはこれを結構気に入り、「おまえはホンマに〜」と言いながら、kochiのおでこにピックを貼りつけるのを日課にしていた。kochiも脂乗りサイコー!(爆×2)
アーカイブズ_A41_kochiは昼休みになると、いじられキャラから突然キレキャラに変わり、学食の前であたりかまわずホースから水を撒き散らしていた。逃げまどう女子たち(爆)
アーカイブズ_A42_(ローリング竹村アゲイン)ローリング竹村のステージネームの由来。当時「サンプラザ中野」だの「マイケル富岡」とかカタカナ名から始まる名前の芸能人が多くてネ!その時期がローリングストーンズの存在を知った時で、なんとなく勢いですわっ(笑)スミマセン(>_<)by本人
アーカイブズ_A43_(続・A42)「ローリング竹村」のステージネーム。長いし、呼びにくいので誰もこのネームで呼んでくれない…。OiOf仲間はお笑い系で「師匠」、taishoは小学校の時から「タッケン」(続く…)
アーカブイブズ_A43_(…続き)ライブの時にお声掛けして頂く際にはステージネームでは反応しない可能性がある為、「ハゲ」!と言うと即、反応します(笑)←タッケンにしといてぇー!by本人(爆)
アーカイブズ_A44_kochiの誕生日は2月14日。世間で言うバレンタインデーであるが故、いつもプレゼントはチョコ(泣)。ちなみにローリング竹村のバレンタインデーは、お気に入りのお姉さんが働いている喫茶店でココアを注文するのが学生時代から今だに恒例行事(泣)
アーカイブズ_A45_こんばんは。今夜もMr.WがあなたにWDRSネタをお届けします。今夜のアーカイブズはローリング竹村さんからの投稿です。「ワイ、ローリング竹村のメンバー加入のきっかけはTVゲームの「ハイパーオリンピック」のボタン押しが早かったから。そして…(続く)」
アーカイブズ_A45_(…続き)そしてリスタートの時はタコ焼きを焼いてるワイの姿を見たtaishoとchumaが「おっ!まだドラム叩けるやんっ!」って・・・。あの人達オカシイでしょっ?(爆)」…です。曲は「NOT FADE AWAY」WDRS!(Mr.Wの一人遊び終わり)
アーカイブズ_A46_chumaは15の夜、本当に盗んだバイクで走りだしていた。時効か…、当時の人スイマセン・・・ (余談ですが、chumaさんカラオケでは尾崎を歌うと制御不能なくらいブッ壊れるらしいッス!管理人のチクリ)
アーカイブズ_A47_15の夜kochi 編_「15の夜、バイクを盗む勇気もなかった僕は先輩から中古のスクーターを譲り受けることとなった。真っ赤に輝くパッソルには、ブルースウェードシューズが似合うと言いわれラバーソールも一緒にもらい受けることとなった(…続く)
アーカイブズ_A47_15の夜kochi編_(…続き)「え?ウソ?!ブレーキが効かない?!慌てた僕は、ブルースウェードシューズをアスファルトに力一杯擦りつけた。赤いパッソルは、ラバーソールの鳴き声とともにゆっくりと速度を落としていった.... 。」(続く…) アーカイブズ_A47_15の夜kochi編_(…続き)「後になって気がついた。このバイクのブレーキはブルースウェードのラバーソールなんだということを.... 真っ赤に輝くパッソルを譲っていただいたWDRS の兄貴naokiさん。何もかもがPunkだぜ!(終)」
アーカイブズ_A48_taishoの意外な特技?散髪が得意なtaishoは中学の時ある風紀検査の日に、髪が耳にかかってるから切ってくれとchumaに頼まれた。検査を前に急いで髪を切ったらついでにchumaの耳もちょこっと切ったとか(怖!)本人は覚えてるのか?
アーカイブズ_A48_中学一年生の時、柔道部に入部したtaisho。その時、Kochiと初対面であったが、既に老け顔のKochiを見て、taishoは最初Kochiを先輩かと思ってた(爆)
アーカイブズ_A49_ある日、柔道部の部活の時、アチコチから有段者のおっさん達が集まってきて、根性叩きなおされた。その時、そのおっさんにパイルドライバーを決められ、taishoは殺されると思い、柔道部を去った(爆)(続く)
アーカイブズ_A50_(続き)その後、何を思ったか、taishoはバレーボール部に入部。入部直後、顧問からアタッカーを命じられ、困ったtaisho。その理由は、バレーボールのルールを知らなかったから(爆)(続く)
アーカイブズ_A51_(続き)バレーボール部のジャージを、無駄に購入してしまっただけで、退部してしまったtaisho。次は番長と軽音楽部に入部した。真面目っ子ばかりの、この部にこの二人。最初は大人しくアコギを弾いていたが...(続く)
アーカイブズ_A52_(続き)ある日の夜中、番長の知り合いの車にアンプやドラムセットを積み込み、学校へ。何故か手伝ってくれた守衛さん(爆)そして機材を、ある場所へ隠した。(続く)
アーカイブズ_A52_(続き)翌日メンバーのヴォーカルが軽音楽部に入部。その日の放課後、部室の前の廊下に機材をセットし、いきなりSex Pistolsの 「Anarchy in the UK」と「God Save the Queen」を演奏したが...(続く)
アーカイブズ_A53_(続き)直後に、大問題となり、部室にメンバー集められ、抗議が始まった。我々は「なんでやねん!やったらアカンのんけ?何が軽音楽部じゃ!音楽は音楽やろ!」と反論した結果...(続く)
アーカイブズ_A54_(続き)我々が退部になるどころか、その日付けで、軽音楽部は見事に廃部となった(爆)元々人気の無かった、この部を大きく育てあげたのは、皮肉にもtaishoの兄naokiであった...すまんm(__)m 
アーカイブズ_A55_taishoは小学4年生?の頃、ドラムを習い始めたが、レッスンの時間にテレビで放映していた『妖怪人間ベム』が観たくて、たまにレッスンをサボっていたとか(爆)当時は普通のガキでした...(続く)
アーカイブズ_A56_(続き)そしてtaishoは、中学1年の時に、モーリスのギターを購入したが、いわゆるFコードで普通に躓き、一時断念(爆)しかし何とか3コードで必死に曲を作る(続く)
アーカイブズ_A57_(続き)その後taishoは、中学2年生の時、ただ弦が少ないベースなら弾けると思い、ベースを購入!初期Punkのコピーに明け暮れるも、次第にリードギターに興味を持つ(苦笑)(続く)
アーカイブズ_A58_(続き)ある日、ボーカルとリードギターを選ぶ時に、chumaにあえなくジャンケンで負け、taishoはボーカルに(爆)これが運命...(^^ゞ(終わり)
アーカイブズ_A59_デモCD1曲目のRunaway boyは昔から同じタイトル。でも2曲目のI can't go backは昔Go aheadというタイトルだった。今回外国人の人にも自分らのメッセージが正しく伝わる のを目指し、慣れ親しんだ曲名を変えました!
アーカイブズ_A60_WDRSの曲の歌詞は出来たときは全てデタラメ英語。これは今でもそう(笑) ここだけの話、昔はデタラメ英語のままライブをやってた(爆)。レコーディングをする時初めて歌詞を作っていたので、今回のデモCDで初めて先に作詞しました(笑)
アーカイブズ_A61_「NOT FADE AWAY」のデタラメ英語の時のタイトルは、「Oi only you」(爆) Oiなのにonly youって…と、当時のパンク界では物議を醸した。